ポイント
人間性心理学とは、精神分析、行動主義に対抗して登場した、人間の潜在能力と自己成長能力を重視し、人間とはよりよき生に向かって歩む主体的存在であるとする考え方である。代表的な人物は欲求階層説のマズロー(Maslow、A. H.)、ロジャーズ(Rogers、C. R.)である。マズローは人間性心理学を、精神分析、行動療法に次ぐ第3勢力であると述べた。
マズローによる心理学の分類
第1勢力(the first force) 精神分析
第2勢力(the second force) 行動主義
第3勢力(the third force) 人間性心理学
自己理論
ロジャーズは、自己理論において、不適応の発生メカニズムを自己概念と自己経験が不一致の状態で、実現傾向が発揮できていないことによると考える。
・自己概念(self-concept)
クライエント自身が抱いている自己像であり、クライエントの理想が反映されている(理想自己)。
・自己経験
クライエントが現実に体験していること(現実自己)。
・自己一致/不一致
自己概念と自己経験の重なりを指す。自己一致の領域が大きいほど適応的であるとされている。
不適応状態に陥っているクライエントは、自己一致の領域が小さい状態にある。ロジャーズは、人は誰もが自己概念と自己経験を一致させていこうとする自己実現傾向(actualizing tendency)を持つと考えており、カウンセラーとの適切な関係性さえあれば、クライエントは自己実現傾向を発揮できるよう、自ら変化していけると述べた。
cf.
十分に機能する人間(fully functioning person)
ロジャーズが仮定した理想的な人間の状態。自己一致をしており、すべての経験に対して開かれており、防衛性を表さない。人の人生は、十分に機能する人間を目指すプロセスだと考えた。
来談者中心療法(client-centered approch)
ロジャーズによって創始された心理療法。ロジャーズは自分の問題について、また解決の仕方について、最もよく知っているのはクライエント自身であり、そのため援助者はクライエンに何かを教える必要はなくクライエントの訴えに寄り添い、体験を尊重することが重要であると考えた。クライエントへアドバイスや指示を行わないことから非指示的療法ともいわれる。
人間観として、人間は先天的に自らを維持し、実現し、強化しようとする欲求である「実現傾向」を持っているとしている。(→ロジャーズの自己理論)
不適応発生のメカニズムとして、自己概念と自己経験が不一致の状態で、実現傾向が発揮できていないと考える。
治療のメカニズムとして、実現傾向が発揮できるよう、自己概念と自己経験が一致した状態を目指す。
治療的人格変化のための必要十分条件
ロジャーズは、カウンセリングにおいて、クライィエントのパーソナリティの変容を可能にする条件として下記の6条件を示したこの6条件のうち3、4、5はカウンセラーの条件である。
2. クライエントは傷つきやすい不一致の状態にある。
3. カウンセラーは関係の中で一致し、統合されている(自己一致)。
4. カウンセラーはクライエントに対して、無条件の肯定的配慮を経験している。
5. カウンセラーはクライエントの内的照合枠を共感的に理解し、そのことをクライエントに伝達するように努めている。
6. カウンセラーの共感的理解と無条件の肯定的配慮がクライエントに必要最小限伝わっている。
カウンセラーの条件
上記「治療的人格変化のための必要十分条件」の中の3、4、5がカウンセラーの条件にあたる。
自己一致(congruence) / 純粋性(genuineness)
面接中に、セラピストが抱く自分自身のさまざま感情に気づいており、自らそれを十分に受け止め、必要ならば表現できるような状態にあること。自己概念と自己経験が一致している状態。
これらの3つの態度条件を揃えカウンセラーとの関係を通じて、クライエントはあるがままの自分とその間気づき(自己洞察)、あるがままの自分とその間題を受け入れ(自己受容)、より自己一致した状態に近づいていくこと(自己実現)が可能となる。ロジャーズは、来談者中心療法の最終的な目標を、自己実現したクライエントが自分自身で問題を解決していける「十分に機能する人間」になることである、とした。
無条件の肯定的配慮
クライエントを、ありのままで受けとめること。クライエントが矛盾した態度をとったり、負の感情を表現したり、セラピストの価値観に反した態度をとったりしたときでも、クライエントを一人の人間として尊重することが重要である。
共感的理解
クライエントの私的な世界をあたかも自分自身のものであるかのように感じ取ること。クライエントのものの見方や考え方の基準を意味する内的参照枠(internal frame of reference)に即して、その人の経験や感情を認識し理解していくこと。
cf.
外的参照枠と内的参照枠
精神分析療法とクライエント中心療法とを比較した際に、次のようなことが言える。精神分析学では客観的な立場で対象の心理を理解しようとするために外的枠組み(クライエントの外部にある基準)を用いる。これに対してクライエント中心療法ではその対象の内面からクライエントを理解しようとするために、内的枠組みを用いていると言える。内的参照枠は、人それぞれの独自な意味づけの原理のことで、分かりやすく言えば、その人のものの見方、感じ方、考え方のことである。
cf.
来談者中心療法の欠点と展開
来談者中心療法の欠点は、クライエントと援助者による言語的コミュニケーションを中心とした治療になるため、言語を使用できない幼児や言語障害を有する者には使用できないこにとである。また、来談者中心療法から派生した、ロジャーズの考えを引継いだ心理療法には、エンカウンター・グループ、遊戯療法(プレイセラピー)、フォーカシングなどがある。
確認問題
[1]
Rogers, C.R.は、クライエントは経験と(1)が不一致であり、不安や心理的混乱の状態にあると捉えた。そして、カウンセリングを通して、経験とより一致する、経験に対して開かれた(2)へ変容することをめざした。
(昭和女子大学大学院 生活機構研究科 心理学専攻)
[2]
次の文章が正しければ○、正しくない場合には×を書きなさい。
ロジャーズは、心理相談の対象者を患者(patient)ではなく、クライエント(来談者:client)とし、カウンセラーとの人間的な関わりによってクライエント自らが問題解決を見出すことを治療目標とした。
[3]
(1)は、C. ロジャースが開発した集団カウンセリングの方法で、構成的なものと非構成的な(ベーシックな)ものとがある。
(東京成徳大学大学院 心理学研究科 臨床心理学専攻)
[4]
ロジャーズの治療的関係におけるセラピストの基本的態度について述べなさい。
[5]
クライエント中心療法と精神分析の特徴をあげ、さらに異同について説明をしなさい。
(東京家政大学大学院 人間生活総合研究科 臨床心理学専攻)
[6]
Rogersの中核三条件として知られているもののうち、セラピストがセラピー場面で体験する自身の様々な感情に気づき、それらを十分に受け止め、必要であればそれらを表現できるような態度は、(1)と呼ばれている。
(名古屋市立大学大学院 人間文化研究科 人間文化専攻)
[7]
下記の用語について簡単に説明しなさい。
・genuineness
(静岡大学大学院 人文社会科学研究科 臨床人間科学専攻)
解答
[1]
1、自己概念
2、よく機能する人
[2]
◯
[3]
エンカウンターグループ
[4]
ロジャーズが提唱したセラピストの基本的態度には、無条件の肯定的配慮、共感的理解、自己一致の3つがある。無条件の肯定的配慮は、クライエントを、ありのままで受けとめることである。クライエントが矛盾した態度やセラピストの価値観に反した態度、負の感情を表したとしても、クライエントを一人の人間として尊重することが重要である。共感的理解は、クライエントの私的な世界をあたかも自分自身のものであるかのように感じ取ることである。人それぞれの独自な意味づけ(内的参照枠)に即して、その人の経験や感情を認識し理解していく必要がある。自己一致は、自己概念と自己経験が一致している状態のことである。面接中に、セラピストは自らのが抱くさまざま感情に気づいており、自らそれを十分に受け止め、表現できるような状態にある必要がある。これら3つの基本的態度によって、クライエントの不適応症状は軽減されると考えた。
[5]
クライエント中心療法はロジャーズが提唱した心理療法である。これは、クライエントは自己概念と自己経験が不一致で、自己実現傾向が発揮できていない状態だと考える。そこで、クライエントの自己実現傾向が発揮できるよう、自己概念と自己経験が一致した状態を目指す。一方、精神分析はフロイトが提唱した心理療法である。これは、神経症などの不適応症状の原因は、過去の葛藤を無意識へ抑圧することにあると考えた。そのため、無意識に抑圧された葛藤を自由連想法などの技法などによって意識化することで不適応症状は解消されると考えた。クライエント中心療法と精神分析どちらも、個人療法という点では同じであるが、精神分析では指示的な側面が強い。一方で、クライエント中心療法は非指示的である。
[6]
1、自己一致(純粋性)
[7]
Rogers,C.が提唱したクライエント中心療法(person-centered approach)において、クライエントのパーソナリティの変容を可能にする条件の一つ。面接中に、セラピストが抱く自分自身のさまざま感情に気づいており、自らそれを十分に受け止め、必要ならば表現できるような状態にあること。