とらわれ(精神交互作用)
ある人が病感、身体的感覚、不安、恐怖、観念などに注意を集中し、また起こるのではないかと予期し、恐怖する。そうすると、ますますそれに注意が集中し、その病感、身体感覚等が強く感じられ、その結果さらにそれに注意が集中します。それしか考えられない状態、つまり視野狭窄になっているともいえます。例えば、腹部の不快感を心気的に解釈する、認知行動療法でいう破局的認知があり、それが恐怖、不安を引き起こす。そしてますますその不快感に自分の注意がひきつけられ、それがさらに神経症的認知を強め、恐怖がさらに増加する。心身を巻き込んだ閉鎖的な運動ともいえます。このような私たちの内部の苦痛な感覚、体験が生じたときに発動する悪循環過程を、森田正馬は「とらわれ」と呼びました。
はからい(神経症的回避行動)
不安や症状を排除しようとする行動や心のやりくり。
不安を解消しようとしたり、コントロールしようとすること、私たちの精神の活動を自分の都合の良いように操作しようとすること、そのように心を支配し操作しようとすること自体が私たちの悩み、苦悩の原因ではないかと森田は考えた。過去の不快な追想や欲望を自ら忘れようと排除し、逆にますますそれに執着してしまうことが、神経症を作りあげると森田は主張しています。
患者さんが特別視する不安を人間の自然な感情ととらえ、これを排除しようとする姿勢が不安を高めると考える。そのため治療の焦点は、悪循環の打破と不安の背後にある健康的な欲求の発揮に据えられます。不安を排除せず、そのまま付き合いながら必要な行動に踏み込む姿勢が促されます。
<参考文献・引用文献>